主催〜関口和之〜:ウクレレピクニックへのお誘い

関口和之
 トップページからつづき・・・ウクレレピクニックという言葉自体には「平和」や「友好」「家族愛」といったメッセージが込められています。そのメッセージがハワイから世界中に広まればこんなにうれしい事はありません。
僕にとっては新たなチャレンジですが,ハワイへの恩返しのつもりで企画しました。ウクレレピクニックや、ウクレレという楽器だけでなく、ハワイからいただいたものはたくさんある、と僕個人が強く思っているからです。30年間続けていたサザンオールスターズというバンドは今年から休息状態に入っています。僕個人は音楽を通じてハワイと日本の架け橋となるために残りの人生を使いたいと思うようになりました。そして近い将来,ハワイにウクレレミュージアムを作るという夢をぜひ実現させたいと思っています。ハワイの音楽の歴史を知ることや実際にウクレレを教わることもできる教育の場として、もちろんエンターテイメントや観光のための場所としても役立つ事でしょう。
世界中の人たちにウクレレの魅力が認められ、ウクレレ人口が拡大していこうとしている中,世界中のウクレレファンが集まるミュージアムはハワイにあるべきだと思います。ハワイにますます注目が集まり,ウクレレを通じてハワイのアロハスピリットをたくさんの人たちと共有できるようになる事を願っています。

そんな大きな夢への第一歩ともなる,この「ウクレレピクニック・イン・ハワイ」をぜひ応援して下さい。
「ハワイ文化の象徴でもある航海カヌー「ホクレア」はえひめ丸の事故後、沈没海域に行方不明者家族を運び、レイや花を投げ入れました。2007年には日本への航海中、宇和島市に寄港し、船長ナイノア・トンプソンとクルーは水産高校を共に訪れ慰霊碑の前で献花、同校等でワークショップを開催しました。犠牲者たちの遺族の方々もハワイの人たちが示してくれた気持ちを心からの感謝とともに受け止めたそうです。そんなエピソードを知るにつれ、日本人としてハワイの人たちに僕たちの気持ちを表現したいという思いが湧き上がってきました。ホクレア号をはじめとするハワイの人たちが日本に向けて架けてくれた橋があるとしたら、今度はそれを僕たちが渡って、音楽でハワイに対する感謝を表現しなければと思ったのです。それがハワイで音楽交流イベントを、と思いついたきっかけでした。

「ウクレレピクニック」という名前自体が平和や友好のメッセージとして世界に伝わるきっかけになれば,とも思っています。
出演者プロフィール
1934年ホノルル生まれ。母の手ほどきで7歳からウクレレを弾き始める。地元のコンテスト荒らしとなり、お金をもらって演奏するようになった15才の時にエディ・カマエに出会い大きな影響を受ける。
アマチュア演奏家として1955年エド・サリバンショーで演奏し注目される。従軍から戻った1964年、プロミュージシャンとしてのデビューシングルである「SUSHI」をリリース。ビルボード誌にもチャートインしてアメリカで高い評価を受ける。
1974年フランスの作曲家・アンドレ・ポップがオータサンの為に書いた「Song for Anna」は世界的なヒットとなり、600万枚以上の売上げの記録を残す。その後も精力的にコンサートツアー活動を続け、日本のたくさんのミュージシャンたちに影響を与え、90年代に起こったウクレレブームに火をつけていった。コードとメロディを織り交ぜて演奏するその洗練された奏法はオータサン・スタイルと呼ばれている。
オータサン

1908年ホノルル生まれ、1月1日の誕生日には102才を迎えた現役最高齢のプロミュージシャン。7才でウクレレを始め、10才の時にはプロとしてヴォードビルショーで働き始めた。
16才からジョニー・ノーブル楽団にバンジョー弾きとして在籍、ロイヤルハワイアンホテルのオープニングセレモニーでも演奏する。第二次世界大戦後、西海岸に移り住みハリウッドのミュージックシーンでギタリストとして活躍。ルイ・アームストロング、ビングクロスビー、エルビス・プレスリーなど歴史的スターたちとも共演する。
妻子に先立たれ失意の中、94歳でウクレレと劇的に再会。以降ウクレレミュージシャンとして4枚のソロアルバムをリリースし、精力的に演奏活動を続ける。メインランド各地だけでなく、2009年夏には日本でのコンサートツアーを成功させ、日本の音楽ファンを衝撃と感動の渦に巻き込んだ。
Bill Tapia

しばらくおまちください
Super Keiki

しばらくおまちください
Joy


父親と二人の息子から構成されるマノアDNAはハワイで最も ホットなバンドのひとつである。
2005年活動を開始し、何枚かのシングルとテーマソングと2枚のアルバム ("Follow Me," 2006 and "No Place Like Home," 2008)をリリースしている。
活動3年目からはハワイ州観光局とのタイアップで他のアーティストたちとともに 日本中をツアーし、アロハの心を届けた。彼らは次の年も偉大な ミュージシャンたちとの共演を楽しみにしている。
Manoa DNA


PALI は、いくつもの賞を受賞しているコンテンポラリー・ハワイアンのグループで、ハーモニーの素晴らしさ、ステージの楽しさ、アレンジの良さそして演奏技術の高さで知られている。2009年の第32回ナ・ホク・ハノハノ・アワード・ショーで、アルバム・オヴ・ザ・イヤー、アイランド・ミュージック・アルバム・オヴ・ザ・イヤー、ソング・オヴ・ザ・イヤーの各賞を受賞した。

バンド・リーダーで作曲家でもあるパリT.W. カアイフエ(Pali T.W. Ka`aihue)は、さまざまなギター・スタイルとテクニックを学び、ウクレレにも応用している。カアイフエは、ギターの巨匠スティーヴ・ヴァイと彼のロスのスタジオでセッションしたり、ジョー・サトリアーニとも演奏している。2008年には、グラミー賞にノミネートされるCD"Slack Key Kings Vol. II" にカアイフエのインストゥルメンタル曲が一曲収録された。

音楽に携わるだけでなく、パリ・カアイフエと夫人のサチコ・ウチダは、日本での生活のさまざまな側面を特集するDOKO GA TV JapanMania というテレビ番組を持っている。Doko Ga TV はケーブル・ネットワークOC16 で毎日放送されているほか、www.oc16.tv, www.dokoga.tv とyoutube でも視聴できる。
PALI

1970年、ホノルルで、オータサンの長男として生まれる。
S・カマカが友人オータサンの息子の為に作った子供用のウクレレが初めてのマイウクレレとなる。祖母の手ほどきでウクレレを弾き始める。
ユニバーシティラボスクールでヴィオラを弾きながら音楽を学び、いくつかの合唱団にも所属。ハワイアンミュージックとウクレレの世界に傾倒した後、1990年、父のアルバムレコーディングに初参加。以降、毎回出すたびにナホク賞にノミネートされるほど充実した内容の8枚のソロアルバムの他、ケオキ・カフモクやダニエル・ホーとのデュエットアルバムなど、数多くのレコーディングとライブを経験している。
2006年には父との初めてのデュオアルバム「オハナ」を出し話題を呼んだ。日本でもファンクラブができるほど人気が高い。「ウクレレの魅力を世界に伝えたい」というジュニアは,エンターテイナー、レコーディングアーティスト、作曲家、プロデューサーそしてウクレレ・インストラクターとして活躍している。
ハーブ・オータ・ジュニア
しばらくおまちください
ホルナペ
2004年「Ka Himeni `Ana」というアコスティック・コンペティションに参加。2005年にリリースしたファースト・アルバム、He`Oluはハワイで音楽のグラミー賞といわれている、Na Hoku Hanohano Award 2006にて、最もハワイ語を美しく使ったとされる賞である、“Best Use of Hawaiian Language”と最も活躍した音楽グループに捧げられる賞、“Group of the Year”を獲得しました。
ホルナペはトラディショナルな曲を中心に素晴らしいハーモニーで音楽を創っています。ゲスト・ミュージシャンにはジェフ・アウ・ホイを招き、最高の音を創りあげました。メンバーはギター&ボーカルのKanai`a Nakamura、ウクレレ&ボーカルのKama Hopkins、ウッドベース&ボーカルのKekoa Kaluhiwaの3名で構成されています。トラディショナルな曲から今流行っている曲まで何でも歌いこなせる実力派のミュージシャンです。


1955年新潟県生まれ。青山学院大学在学中に結成されたサザンオールスターズにベーシストとして参加、1978年、「勝手にシンドバッド」でデビュー。30周年を迎えた2008年の8月には4日間のコンサートで30万人を動員。サザンオールスターズはまさに国民的なバンドとして愛されて続けている。

またバンド活動の傍ら、ウクレレ奏者、ハーブ・オータに出会ったことをきっかけに1992年からウクレレ普及活動を開始、以降、ウクレレ本、ビデオ、CD、オリジナルウクレレなどを発表し、のウクレレブームを作り出した。音楽活動の他、小説、エッセー、翻訳、またコラムの連載など多彩な活動を繰り広げている。
関口和之


関口和之とIWAOのウクレレデュオから発展して、ベースにケツメイシなどのプロデュースで知られるヤナギマン、パーカッションにサザンオールスターズのサポートとしても活躍する高橋結子をくわえ、口笛奏者としてフィーチャーされるのが2007年度世界口笛大会の優勝者、分山貴美子。2006年くらいからこの形でステージに立つ事が多い。
口笛とウクレレというゆるい組み合わせが新鮮で心地よいサウンドを醸し出している。ほぼ4ヶ月に一回くらいのペースでライブ活動しているが、特別に名前は無いままで、関口バンドとか口笛ユニットなどと呼ばれる事が多い。
関口和之BAND


1955年、東京都三鷹市に生まれる。1968年、クラシックギターを習い基礎を学ぶ。1972年、阿佐ヶ谷美術学園卒業。1975年、高田渡、なぎら健壱等のバックミュージシャンとしてプロ活動を開始。高田渡&ヒルトップストリングスバンドでフォーライフレコードより「バーボンストリート・ブルース」でレコードデビュー。この年より武蔵野音楽学院のジャズギター科講師を8年間勤める。

1985年、「東京ホット倶楽部バンド」に参加。CD発表の他、イギリス、フランス、オーストラリア等の海外演奏活動を中心に活動。1994年、ウクレレをモチーフにしたバンド「サバビアン カフェ」結成。1998年、台東区文化スポーツ財団主催「たいとうネイチャーサウンドフォーラム98」に於いてウクレレ受講生120人の主任講師を勤め、「ゴンチチ」とのコンサートを成功させる。 又、ハワイアン界の大御所、山内雄喜氏とも交流がありハワイアンミュージックの手ほどきを受ける。

2002年、ジャンゴ・ラインハルトの曲をとりあげたウクレレ・アルバム「It's Only A Paper Moon」、同じくジプシー・スウィングギター・アルバム「セ・マニフィック」をリリース。

現在は演奏活動の他、ウクレレの講師として、ウクレレでは日本でトップメーカー「フェイマス」の発売元であるキワヤ 商会にてKIWAYAウクレレスクールの主任講師として指導にあたっている。KIWAYA商会から出した「 はじめてのウクレレ」を筆頭に数多くのウクレレ教則本を執筆、出版。またウクレレだけのオーケストラ、ウクレレオーケストラ・オブ・ジャパンを主宰、2009年には単独コンサートも行っている。ギター、ウクレレ、バンジョー、タヒチアンウクレレ奏者として活動の他TVCM、CDのアレンジャー、作詞作曲と他方面において活動中。
キヨシ小林


キヨシ小林プロデュースによるウクレレだけのアンサンブルオーケストラ。現在のオケ団員数は44名、演奏レパートリーはジャズからクラシック まで幅広くチャレンジし、ウクレレの可能性を広げるべく練習に励んで います。2007年11月 結成。2008年 5月 東京ヤクルトホールにて海外からのアーティストを交えたウクレレコンサート「ウクレレ・ スーパー・ジャム」に出演。 8月 横須賀ソレイユの丘にて日本最大級のウクレレイベ ント「ウクレレ・ピクニック」に出演。12月 ジェネオン・エンターテイメントよりCDアルバム「ウクレレジブリの森」で『ねこバス』『崖の上のポニョ』を演奏しCDデビュー。2009年 5月 TOKYOハンドクラフト・ギターフェスにてス ペシャルライブに出演。10月 市ヶ谷ルーテルセンターホールに於いて初のオリジナルコンサート開催。
キヨシ小林&ウクレレ・
オーケストラ・
オブ・ジャパン


1989年レコード会社に送ったデモテープがきっかけでコロムビアレコードよりメジャーデビュー。以後シンガーソングライターとして、9枚のアルバムをリリース。1991年ギタリスト、佐橋佳幸を通してウクレレに出会い、ハーブ・オータに感銘を受け、以後ウクレレにのめり込む。97年頃より、ウクレレプレーヤー/ギタリストとしての活動が主になる。

99年、IWAOとしてウクレレアルバム「ウクレレマン」をリリース。現在までに8枚のアルバム、2枚のマキシシングルを発表。テクニック,音楽性ステージパフォーマンス,どれをとっても日本一のウクレレプレイヤーとして知られている。ハーブ・オータ、ハーブオオタJr. 、ジェイク・シマブクロ、らハワイのプレーヤーと頻繁に共演。2008年にはNHKテレビでウクレレ講師として出演するや,全国的にウクレレの売り上げが増大するという現象を引き起こした。
IWAO


2007年4月、アメリカ・ノースカロライナ州で開催された第34回「国際口笛大会」に初出場し
総合優勝(成人女性の部)。
3オクターブに及ぶその音色は、女性らしさにあふれ、ラブリー・チューンと賞賛される。
CD「口笛天国」は、口笛のソロ・アーティストとして初のメジャー・リリース。
数々のテレビ番組や映画など、従来の口笛のイメージにとらわれず、幅広く活躍中。
分山貴美子